Interview
インタビュー

小林万里子さん(ピアノ/コレペティトゥア)

オーケストラではピアノやチェレスタを担当され、オペラではコレペティトゥア(稽古時のピアノ伴奏等)としても1992年からずっとご参加を頂いている小林万里子さん。2013年に上演したラヴェルの『子どもと魔法』では、世にも珍しい改造ピアノを生み出すまでに至り…!?

小林万里子さん

あまり泣き言を言わない方なんですけど、この時は初めて、親に弱音を吐きましたね。

―小林さんがSKOで演奏されたのは1996年のプーランクのオペラ『ティレジアスの乳房』が最初でしたが、コレペティトゥア(以下コレペティ)としては、フェスティバル初年の1992年からご参加されていたんですね。

はい、1回目のストラヴィンスキー:オペラ『エディプス王』の時に、初めてコレペティトゥアとして参加しました。私は桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学を卒業したのですが、桐朋の先輩方が活躍されている記事を新聞で見つけると、それをスクラップして保管していたんですね。SKOや、小澤さんのこともスクラップしていたんです。小澤さんは雲の上のような存在だったので、新聞の一読者として「わあ、すごいな」って思いながらスクラップしていました。
そんな私がコレペティとしてフェスティバルに関われるというのは、こんなことあるのかなっていうくらい、奇跡的で嬉しいことでした。印象深かったのは『エディプス王』の竹の舞台。あのオペラは(語りのあと)冒頭からいきなりオケと男性合唱で始まるんです。序曲とかも無くてね。緞帳が下がっていて、合唱団はそこに板付きで始まる、という流れでした。音が無い中で歌い始めなきゃいけないから、合唱団は音がわからないじゃないですか。だから私が竹の舞台のところに行って「ピー」ってピッチパイプを吹いてみんなに音を伝えて、緞帳が上がる前にそーっと、落ちないように駆け下りた思い出があります。スリル満点でしたね。

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1992年SKF ストラヴィンスキー:オペラ『エディプス王』。演出はジュリー・テイモア。

-1996年のオペラで、SKOメンバーとして演奏されて、いかがでしたか?

オケの中で演奏するのが初めてだったので、1996年のプーランクの『ティレジアスの乳房』でピアノのオファーが来たときは「あのオケの中で!?」って思いました。最初は嬉しかったのですが、松本に行って、錚々たるオケのメンバーを見ていたら怖くなってしまって、毎晩ホテルで怖い夢を見ていました。あまり泣き言を言わない方なんですけど、この時は初めて、親に弱音を吐きましたね。あんまり反応してくれなかったですけど(笑)。
自分ができる最高の力で、全力でぶつかるしかないと思ったので、リハーサルが始まってからは邪念を吹き払って、集中してやりました。SKOの音は、音のパレットの中で色んな音色も作れるし、また、繊細な音から爆発的な迫力まで、とにかくすごいとおもいました。小澤さんが指揮台に立つと空気が変わるんです。みんなが一致団結して、想像以上のものが新しく生み出されてくるという感じ。みんなは楽しそうに演奏しているのに、私は「足を引っ張らないように!」と思いながら弾いていました。

-『ティレジアスの乳房』は、フェスティバルで公演した初めての喜歌劇でした。

そうですね。すごく楽しい内容でした。バーバラ・ボニーさん(ソプラノ)の胸についていた風船を、小澤さんが指揮棒でプッ、プッって割る演出もあったんですよ(笑)。日本では見られないような演出で「世界レベルってすごいなあ」と、感動しながらやっていました。
公演が終わった後は、ほっとしたの一言! 大成功でしたし、お客さんにも喜んで頂けました。なかなか日本では公演されない演目だったので、そういう意味でもお客さんに本当に喜んで頂けたと思います。

-オペラはもともとお好きだったのですか?

やっていくうちに、好きになっていきました。最初は"ピアノを弾く仕事"としての受け方だったので、オペラが好きだからコレペティをやりたい、という気持ちではなかったと思います。
色んなことを現場で勉強しながら学びました。フェスティバルには海外から演出家も歌手の方もいらっしゃるので、まるで外国の劇場に行っているような感じでしたね。演出家が数か国語を操るのを初めて見た時は「世界にはこういう人がいるんだ」ってびっくりして(笑)。「世界のレベルって全然違うんだな」と。
語学は最低でも3、4か国語ができないとダメだというのも学びました。例えばそのオペラがドイツ語だったとしても、歌手は色んな国から来るわけですよね。そうすると演出家さんは「じゃあ、何語で話せばいい?」って、そういう聞き方をするんです。日本語はダメでしたけど(笑)。
ピアノでオペラを一本さらうだけでも、通して3時間くらいかかるものもありますよね。そうなると、せいぜい歌詞の言葉を勉強するのが精いっぱい。広く浅く、語学の勉強を続けていますが、本当に時間が足りないです。割と演出家が使うので、英語は必須。演出助手に日本の方が就く場合もありますが、全員が外国人のところでピアノを弾かなきゃいけない時も、時々ありますよ。

―リハーサル中、コレペティトゥアへの特別な指示はないように見えます。

「どこから始めるよ!」という指示はなく、察知しなきゃいけない場合が多いです。小澤さんも、すぐにポンッと手を降ろされるので「えっ、どこから?」って思いますが、そんなときに「どこからですか?」って言ったら、クビですよね。ですので、常に鍵盤に手は置いています。「どこから始める」というのが、指示が無くてもわかるのが当たり前の世界なので、それも鍛えられました。なんとなく予測はついていきますが、演出家と歌手が今何をしゃべってるのか、というのをよく聞いてないと、全然ついていけないです。だから、松本に行っている間は、普段使っていない神経をすごく使っています。脳みそも使いますね。松本では、身体中からアンテナが出ていると思います。

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2004年SKF アルバン・ベルク:オペラ『ヴォツェック』リハーサル中。右から小林さん、ジョナサン・ウェッブさん(副指揮)、小澤総監督。

-1996年からはSKOでピアノやチェレスタを演奏されていますが、コレペティトゥアも引き続き?

そうです。コレペティをやるとオペラの流れがわかるので、助かりますね。オケの人から「今はどういう場面なの?」と聞かれることもありますし。ただ、編曲の都合で、コレペティで弾く譜面と、ピアノのパートがちょっと違うときがあるんです。それはちょっとやりにくいな、と思いますね。

本当に、ちょっとした手の動きの違いだけで、音楽は変わっちゃう。

-最も思い出深いオペラ作品は?

なんと言っても2013年のラヴェルの『子どもと魔法』です。スコア上のラヴェルの楽器指定が"ピアノ・リュテアル(Piano luthéal)"という改造ピアノのようなものでしたが、これ、現在はもう存在しないピアノなんですよ。たぶん、どこかの博物館にはあるかもしれないけど、簡単に手に入るようなピアノではないんです。そこでパート譜には"アップライトピアノのハンマーと弦の間に紙を置け"と書いてありますが、小澤さんとしては、ラヴェルが指定した音に忠実な音が欲しいというご希望がある。いかにして近づけるかということで、SKOのオーケストラ担当者さんたちと一緒に、色々試しました。金網とかハトメとか色々なものを買ってきては、ピアノに細工して音を出すんです。でも、小澤さんに「うん~~」と言われてしまい、試行錯誤。ですが最後には、素晴らしいピアノが出来上がりました。ネジを留めるときに、ボルトとナットの間に入れる薄い金属の輪っか、ワッシャーを使ったんです。ピアノ内部のすべてのハンマーにワッシャーが当たるように細工をして頂きました。使用したのはアップライトピアノ。真ん中のペダルを踏むと、消音の役割を果たすフェルトの布がパタっとハンマーと弦の間に下りてきます。そのパタパタとなる仕組みを生かして、リュテアルの音が必要な時はペダルを踏むと、その音が出るようにしました。88鍵すべてにワッシャーをつけましたね。
この、いわゆる改造をするために、ピアノの中に張ってある布を切らなくていけませんでした。そうなると、通常のレンタルピアノでは加工できません。松本のピアノの調律師さんに相談して、改造しても大丈夫なピアノを手配して頂きました。普通のオケだったら、こんなことできませんよ。フランス音楽って本当に音色が美しいじゃないですか。だから、あの音色は必要だったんだろうなと思います。2014年にはグラミー賞最優秀オペラ録音賞(*1)もいただけて、みんなの努力が実った証だと思います。嬉しかったです。

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リュテアル仕様に改造したアップライトピアノ。フェスティバルでの公演後も、小澤征爾音楽塾での『子どもと魔法』公演に何度も使用された。

―小澤総監督の指揮で演奏する体験について、教えて下さい。

普通の状態で音楽をやるんじゃ、ダメなんです。神経をとがらせて、集中することが大切。私がすごく感じるのは、小澤さんのリズムの取り方です。他の方と、全然違うんです。わずか0.00何秒のリズムのタイミングが、小澤さん独特のものがある。すごいなと思います。その0.00何秒のリズムによって、音楽がシャープに、生き生きとするんです。
私は指揮のレッスンの際に、オケのパートをピアノで伴奏する指揮伴もやります。小澤さんが、指揮を勉強する生徒さんに対して見本で振ってあげるのと、指導された生徒さんの指揮では、その手の動きは何ミリも違わないのに、全然違うんです。本当に、ちょっとした手の動きの違いだけで、音楽は変わっちゃう。マジックハンドと言うか、神の手と言うか、小澤さんの指揮はそんな感じです。
だから、小澤さんの指揮で演奏するときは、身体中にアンテナを張るみたいな感じで取り掛かります。小澤さんは全部を手で表現して下さるので、その手を見ていると、こっちも体質が変わるくらいの変化があるんです。奏者側としても、相当の"気"を送っていないと、小澤さんは嫌がるんじゃないかと思います。オケの全員がそういう"気"を持ってやっているので、SKOの演奏は凄いんです。

ピアニストって大勢いるじゃないですか。だけどオケに必要なのは一人とか、持ち替えがなければ二人とかですよね。そんな中でSKOのピアノを弾かせて頂けるのは本当に幸せなことですし、身に余る光栄です。昔、世界で活躍しているオケの方が「僕はね、いつクビになるかって毎年思ってるんだよ」っておっしゃっていて「え?あなたがそんなこと思うの?」って、当時の私は思ったんです。でも今は私もそう思うし、きっと大半のメンバーもそう思いながら、一生懸命やっているんじゃないかな、と思います。

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2019年OMFで公演したオペラ チャイコフスキー:『エフゲニー・オネーギン』 合唱リハーサルの様子。

―小林さんはOMFのホームグラウンドである、長野県(長野市)のご出身ですね。

このフェスティバルが始まる時、松本のほかに日本全国で何か所か候補地があったと聞きましたが、その候補地の中から長野県が選ばれたのは、すごいご縁だと思います。こんなに素晴らしいフェスティバルは、どこにでもあるものではありません。私はいま、長野県民全員にこのフェスティバルのありがたさを知ってもらいたいと感じています。最近は「子どものための音楽会」(*2)が長野市でも開催されていますよね。本当に嬉しいことですし、子どもたちにもこんなことは滅多にないことなんだよって言いたいくらい、聴ける幸せを感じてほしいと思っています。開催地こそ松本ですが、長野県民としては、長野県中にこのフェスティバルの良さをもっと知ってもらいたいと思っています。

*1:2013年SKF ラヴェル:オペラ『子どもと魔法』のライヴ録音CDが、2015年2月に開催された第58回グラミー賞クラシック部門 最優秀オペラ録音賞を受賞。小澤総監督、サイトウ・キネン・オーケストラにとって、初めての受賞となった。
*2:「本物の音楽をやれば子どもたちには必ず伝わる」という小澤総監督の理念のもと、松本市内の小学6年生をオーケストラ公演に招待する、フェスティバル創立当初から続けている教育プログラム。最近は長野市の6年生にも参加してもらおうと、長野市でも公演を行っている。

インタビュー収録:2020年7月
聞き手:OMF広報 関歩美