Interview
インタビュー

呉信一さん(トロンボーン)

その朗らかな人柄と溢れるエネルギーで、いつも周りを明るくして下さっているトロンボーン奏者の呉信一さん。フェスティバルにもほぼ皆勤賞でご出演頂いている、SKO古株メンバーのお一人です。小澤総監督の知られざる珍エピソードから松本の魅力まで、たっぷりお話しいただきました。

呉信一さん

1984年のメモリアルコンサートは、燕尾服を貸す代わりに、
リハーサルを聴かせてもらったんです。

―SKOに初めてご出演頂いたのはいつですか?

1991年のヨーロッパ・アメリカツアーでした(*1)。ブラームスの交響曲第2番と第3番を演奏しましたね。まず、アテネ集合っていうのに度肝を抜かれました。初めてのSKOで、ほとんどのメンバーは知らない人。それに加えて、当時所属していた大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に、ソリストとして来ている弦楽器の人もいっぱいいて、もうそれで緊張してしまって。「オレ、このオケで吹けるかな?」って思ったのが、最初の思い出ですね。

―SKOご出演の経緯を教えてください。

僕が参加したツアーの前までは、桐朋学園出身の別の奏者さんがトロンボーンの1番を吹いていらっしゃいました。ただ1991年は乗れなかったので、僕を誘って下さったんだと思います。SKOって、だいたい夏に世界中から集まってきますよね。僕は1991年に大阪フィルを辞めて、京都市立芸術大学で教壇に立つようになりました。大学の講師は夏休みがあるから「コイツはヒマだな」って思われたと思うんですよ(笑)。

―出演依頼を受けたときのお気持ちは?

興奮するぐらい嬉しかった。それと同時に、嬉しさの100倍ぐらいの不安もありました。「オレで務まるんかな」と思って。すごいオーケストラじゃないですか。
実は、1984年に大阪のシンフォニーホールでの「齋藤秀雄メモリアルコンサート」を聴きに行かせてもらっていたんです。大阪フィルで一緒に吹いていたホルン奏者の方が、SKOのメンバーだったんです。そしたらその人から「燕尾服を忘れたメンバーがいる。呉のサイズにぴったりだから、燕尾を貸してくれ」って言われて。燕尾服を貸す代わりに、リハーサルを聴かせてもらったんです。ホントの話ですよ。その時、初めてSKOを聴きました。

―1991年のヨーロッパ・アメリカツアーに参加されて、いかがでしたか?

楽しかったですね。勉強にもなったし、ニューヨークのカーネギーホールで演奏できたっていうのが嬉しかったです。音楽家としては、カーネギーホールって憧れの場所じゃないですか。
初めてSKOで演奏しましたが、弦楽器の響きが全然違うのに驚きました。こんな音が出せるのか!と。木管も金管も素晴らしいんですが、弦楽器が違う。こんな弦楽器の音は聴いたことがないって感じました。音がね、ソリストの音なんです。一人ずつがソリストみたいな感覚でシンフォニーを弾くので、音がバカでかいんですよ。この"バカでかい"っていうのは褒めてるんですよ、僕としては(笑)。とにかく弦の音がデカいので、木管も金管も音が大きくなる。だから、お客さんは聴いていて興奮するんだと思います。

1991-0594_(C)1991SKO_sc.jpg

1991年サイトウ・キネン・オーケストラ ヨーロッパ・アメリカツアーより 。

―ホルンの猶井さんは、「弦の音が床から響いてきた」とおっしゃっていました。

金管奏者は、ステージのひな壇に座っているでしょう。そのひな壇が震えるんです。振動してるのが、靴を履いていても感じます。こんなことは、経験がないですね。

―1992年の第1回フェスティバルでは、オーケストラ公演・オペラ公演の両方にご出演頂きました。

はい、どちらも1番で乗りました。オーケストラ公演が、テレビで生中継されていたんです。演目はブラームスの交響曲第1番。ブラームスの1番ってね、トロンボーンだけで言えば、4楽章にイヤなところがあるんですよ。この曲はチューニングしてから3楽章が終わるまで、トロンボーンはずっと音を出さないんです。そんな中、冒頭から3楽章まで、みんな素晴らしい演奏をしていました。譜面台がグラグラ揺れるぐらい。それを聴いて、ずっと待っているこっちは「勘弁してくれよ」って思ってた(笑)。生放送だから、間違いたくないですし。ましてやSKOの、松本での公演の1回目でしょ。指揮が小澤征爾でしょ。これは大変だぁ、と。3楽章が終わるまでずっと、その感情と戦っていましたね。吹いたら良い答えが出たので、「あ、これでまた呼んでもらえるかな」って思いました。良い音が出ましたが、それまでは針の筵(むしろ)にいる気分です。

―1992年は、天皇皇后両陛下もご高覧下さいましたね。

両陛下の車両がノンストップで会場まで来られるように、松本の道がどんどんきれいになっていったのを覚えています。その後も天皇皇后両陛下には何度も公演を見に来て頂いて、僕らは本当に幸せ者です。

アセット 6@2x-100.jpg

1992年SKFオーケストラ コンサートでの、ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68。後列右から3人目が呉さん。

小澤征爾さんは、すばらしい交通整理が出来るお巡りさん。

―長年SKOで一緒に演奏をしてきた、小澤総監督について教えてください。

誤解を恐れずに言うと、小澤征爾さんは、すばらしい交通整理が出来るお巡りさん。昔は信号が止まった時なんか、交差点の真ん中でお巡りさんが台に立って、手で交通整理をしていましたよね。そうじゃないと、事故が起きちゃう。小澤さんは時々、車をちょっと渋滞させるんです。なんだけど、そこで世界の小澤征爾は、その渋滞をパパっと解消させる。すると、道が開けて道路がきれいになりますよね。それが、僕は小澤さんの音楽だと思います。ここぞ!というところの前に、少しだけ溜めるんです。その"溜め"が解消されて、バーッと開いたときに、お客さんに物凄い感動が生まれる。1曲を初めから終わりまで、きれいに整理整頓する素晴らしい指揮者は世界に何百人といますが、それだと一つも感動を与えない。小澤さんは、そのコツを知ってるんじゃないかと思います。演奏家も、その魅力に見事にハマってしまうんです。小澤さんのことを"交通整理の上手いお巡りさん"なんて呼んだら、どつかれちゃうかな(笑)。

小澤さんについては一つ、面白い話があるんです。2004年のオペラ 『ヴォツェック』の公演時、小澤さんが間違えて、金管に一拍早い合図を出してしまったんです。だけど素晴らしい僕ら金管のメンバーは、間違えてしまった小澤さんには従わずに、正しく一拍待って、フォルテッシモでバーンと出た。「世界の小澤さんでも間違えるのか!」って、びっくりしましたけどね。でも誰一人飛び出すことなく、堂々と正しいタイミングで吹いた。演奏はそのまま、無事に最後まで終わりました。
小澤さんって、演奏が終わると奏者に握手をしに来るでしょう。小澤さん、この日は「今日はごめんね!ごめんね!」って言いながら握手に来たんですよ。僕の前に来た時に、「今日は高くつきますよ」って言ったら、「いいよいいよ!好きにやって!」って言ってくれて。「国際交流しておきます!」って言って、外国人を含む十何名の金管メンバーで、当然、焼肉に行きました。そしたら、飲むわ飲むわ、食べるわ食べるわ。すごいお代になったんです。お会計の時に「領収書下さい」ってお願いしたら、お店の方が「お名前は?」って。「小澤征爾」って答えました。お店の人が、「そんな難しい漢字書けないです!」っていうので、ペンをもらって僕が小澤さんの名前を書きましたよ(笑)。
次の日、小澤さんと楽屋で会った時に「すみません、昨日の国際交流、ちょっと高くつきました」って言ったら、小澤さん、ちゃんとお金くれて、きっちりご馳走して頂きました。世界のオザワだって、間違いがあっても良いじゃないですか。でも彼の場合は、一拍間違うだけでウン十万です(笑)。

―ほぼ30年、毎年夏を過ごされている松本の好きなところは?

僕は関西弁ですが、松本の方言もクセがあって好きです。松本弁って言うのかな? あと、人がすごく優しいんですよ。人間味があって、良い方ばっかり。そして蕎麦が旨い。朝昼晩、三食ぜんぶ蕎麦っていうのも、何回もあります。どのお店に行っても、ハズレがないんですよね。蕎麦が好きすぎて、蕎麦つゆだけ持って帰ったこともあります。ペットボトルにたくさん入れてもらってね(笑)。オーケストラのメンバーを車に乗せて、みんなで蕎麦屋に行くことも多いです。

―フェスティバルでは創設当初から、地元の子どもたちに向けた教育プロジェクトを続けてきました。子どもたちの前で演奏する意義は何でしょうか?

僕たちが楽しんで演奏しているのを、子どもたちに観てもらって、それを楽しんでもらいたい。「俺らカッコいいやろ」ではなくて、「僕らこんなに楽しくやってるんやで」っていうのを見せたいです。松本市総合体育館で演奏会をやるときも、オケのメンバーは子どもたちとハイタッチしながら入場する。そうすると、演奏が終わって退場する時、子どもたちがまたハイタッチのために待ってるんですよ。そういうのが好きです。燕尾服を着るとエラく見えちゃうから、SKOはフェスティバルのポロシャツを着て演奏します。そうすると、子どもたちと一体感を出すことが出来る。僕らから子どもたちに接しに行くことによって、子どもたちがラクに演奏会を聞くことが出来る。それは感じますね。
実は、演奏会後に参加したお子さんからハガキを頂くこともあるんですよ。いつの間にか知り合いになって、リンゴを送って下さる方もいらっしゃいます。SKOじゃない演奏会でも、わざわざ大阪まで聴きに来て下さったり。素敵なつながりです。
フェスティバルは、そういった地元の小学6年生・中学1年生を招待して公演を見ていただく教育プロジェクトに加え、小・中・高校生を対象に直にレッスンをする「楽器クリニック」をやってきましたね。この教育プロジェクトや「楽器クリニック」、そして小澤征爾音楽塾などに参加して、現在プロのオーケストラで吹いている子が何人もいるんですよ。例えば、松本出身で、山形交響楽団首席トロンボーンの太田涼平君もその一人です。すごいです。
長野県の金管アンサンブルのレベル、ごっつい高いんですよ。全国大会とかで金賞取ったりしてる。松本でフェスティバルが毎年あるっていうのは、吹奏楽をやっている子どもたちにとっては、すごく興味が持てることだと思うんです。「子どものための演奏会」には、きっとそういう子が沢山来ていると思うんですよね。SKOはとってもきれいな音を出します。その音を思って、練習してもらいたい。聴く音が良い音でなかったら、そんなに良い音は出ないんです。音色は耳から学びますからね。良い音を聴けば、必ず良いようになる。良い音を聴かせてあげたらいいんです、それだけのことですよ。

―ありがとうございました。

アセット 7@2x-100.jpg

アセット 8@2x-100.jpg

2016年セイジ・オザワ 松本フェスティバル 「子どものための音楽会」公演より。松本市総合体育館で、大勢の子どもたちに囲まれての演奏。下の写真は、恒例の"楽器紹介"で「相撲の土俵入り」を演奏している呉さん。後ろに映っているSKOメンバーも笑顔。

*1:1991年「ヨーロッパ・アメリカツアー」。9月16日 ロンドン(ロイヤル・フェスティバルホール)、9月17日 デュッセルドルフ(トーン・ハレ)、9月20日 アムステルダム(コンセルトヘボウ)、9月24日 ニューヨーク(カーネギーホール)で公演。9月18日~20日には、オランダのナイメーヘン・コンサートホールでレコーディングを行う。

インタビュー収録:2020年7月
聞き手:OMF広報 関歩美