Interview
インタビュー

島田真千子さん(ヴァイオリン)

2015年に、全員がSKOメンバーで構成されたヴェリタス弦楽四重奏団を立ち上げられた島田真千子さん。SKOとのつながりは、学生時代に参加された奥志賀での室内楽勉強会がきっかけでした。ドキドキのSKO初参加エピソードから、松本で馴染みのレストラン裏メニュー開発秘話に至るまで、盛沢山のお話をお楽しみください。

島田真千子さん

人間・小澤征爾ではない何かがバッと現れた瞬間を見た時は
「ここは違う場所なんだ」と、改めて感じました。

―島田さんが初めてSKOで演奏されたのは、1999年でしたね。

厳密に言うと、フェスティバルで演奏したのは1998年の奥志賀の勉強会(若い人のための「サイトウ・キネン室内楽勉強会」(現 小澤国際室内楽アカデミー奥志賀))が初めてでした。翌1999年に奥志賀の勉強会にも参加し、SKOでも演奏させて頂きました。ベルリオーズのオペラ『ファウストの劫罰』です。小澤先生の表情が奥志賀の時とは違うというのをよく覚えています。とにかく「SKOの皆さんについていこう!」という気持ちでした。

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1999年 奥志賀勉強会 発表会での1枚。中央に立つロバート・マン先生の右側、コンサートマスターを務めたのが島田さん。

―表情が違う、とは?

奥志賀ではチャイコフスキーの弦楽セレナーデや、ヴォルフのイタリアン・セレナーデを振って頂いていました。真剣な部分もありつつも、今考えるとSKOの時よりはリラックスされて、楽しみながら曲を振られていた印象です。
SKOのオペラ『ファウストの劫罰』になった途端に、奥志賀での小澤先生とは緊張感も違えば厳しさも違うし、演奏が始まった瞬間の豹変というか、人間・小澤征爾ではない何かがバッと現れた瞬間を見た時は「ここは違う場所なんだ」と、改めて感じました。
私はファースト・ヴァイオリンの一番後ろに座っていましたが、オーケストラピットに入った最後列からでも小澤先生が光っているように見えて。すごく求心力のある光というか。そこが違うな、と思いましたね。ベルリオーズの楽曲は大編成だし、それだけの人数の集中力をきゅっと集めなくてはいけない時に出されるオーラが、ものすごかったことを覚えています。

初めての年だったので、色んなことを見逃したくないという思いもあって、リハーサル中もあまり休憩しなかったんですよね。ずーっと席にいて、周りにいる大先輩方とお話ししたりしていました。それ自体が勉強と言う感じです。休憩時間も集中していました。大変でしたが、ものすごく若かったし、すべてのことが自分にとっては事件だったんです。「こんなこと言われるのか!」とか「こんな風になるんだ!」とか発見ばかり。一人一人が強烈だったから、人間観察は面白かったですね、とっても。

―『ファウストの劫罰』は、松本城前の庭園で野外公演も行いましたね。

やりました! とにかく天気との戦いで、直前まで雨が降っていたのでバタバタしていました。雨の中では、メンバーが持っているような超名器の弦楽器は使えないのでほとんどの人が代わりの楽器を用意していました。公演は雨が降っていない瞬間を狙ってやりましたね。松本城が夜空に浮かび上がるようで、ものすごく幻想的だったし、スタッフさんのご苦労を目の当たりにして、すごいなと思いました。
野外用(雨天時用)の楽器は、スズキメソードさん等が貸して下さったんだと思います。とにかく、松本中の楽器を集めてきたっていう(笑)。スズキメソードだけではなく、例えばセカンド楽器として使用している生徒さんの楽器を貸して下さったりとか。個人のお名前もたくさんあったので、松本市民のみなさんにすごく助けて頂いたんだと思います。

あんなに一音一音に気持ちを投入できた経験って、
後にも先にもそんなに無いというぐらい、今でも心に直接震えが来る作品です。

―奥志賀での話をお伺いします。島田さんがご参加された1998・1999年には、ロバート・マンさん(*1)も講師としていらっしゃいましたね。どんな先生だったのですか?

一挙手一投足すべて、弾き方とか、ここで何をおっしゃったとか、今でも全部、はっきり覚えています。マン先生にお目にかかれて本当に良かったし、素晴らしい機会を与えて頂いたと思います。マン先生がフェスティバルで室内楽公演にご出演されたときは、ステージ上で拝見しました。弾いているお姿がいまだに忘れられないので、弦楽四重奏でファースト・ヴァイオリンを弾くときは、マン先生の真似をしている、みたいに感じるときもあります。それぐらい貴重な時間でした。
マン先生は、とにかくエネルギッシュでした。笑顔の印象が強いですね。本当に真剣なことを言うときは目の奥がギラっとするんですが、私たち若者に対してはいつも笑顔で接して下さいました。
ブラームスの弦楽四重奏を1998年にやったのですが、マン先生は、ブラームスのお弟子さんから直接お話を受け継いでいらっしゃり、「ブラームスの音楽では、アレグロはそんなテンポじゃない」とか、生きている意見が聞けたんです。

今でも最高の音楽体験のひとつだと思っているのが、マン先生の指揮でベートーヴェンのカヴァティーナ(弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調Op.130 第5楽章)を演奏した時です。カヴァティーナは、奥志賀勉強会の弦楽合奏の代名詞のような曲ですが、たぶんあの時が、マン先生にとって初めて奥志賀で演奏した機会だったと思います。カヴァティーナという曲に対しての想いとか、指揮の仕方とか、どんな気持ちで自分が弾いたかとか...鮮明に覚えています。あんなに一音一音に気持ちを投入できた経験って、後にも先にもそんなに無いというぐらい、今でも心に直接震えが来る作品です。本当の意味でみんなで一つになって、弾いているメンバー全員が、感動で放心状態でした。あがたの森(松本市・あがたの森文化会館 講堂)で室内楽を弾くのって、すごく怖いし、嫌だし、先生たちも聴いているしで、ものすごく緊張するんですが、そういう次元を超えたところに行けた体験でした。その次元に、マン先生が連れて行ってくれたんです。その演奏に対して、小澤先生が号泣していたのもよく覚えています。すごい体験でした。ありがたく思っています。

-覚えていらっしゃる印象的な言葉や、アドバイスはありますか?

私にとってマン先生は、人物そのものが音楽辞典みたいな方でした。小澤先生は辞典を超えて、神の啓示みたいな(笑)。小澤先生の言葉はとてもざっくりしているんだけど、ものすごく本質を突いている。言われたときは「え?」と思うんですが、後で思い返すと、どの音楽にも当てはまるようなことをいっぱいおっしゃって頂きました。
マン先生は、音楽の一つ一つのフレーズについて言って下さったから、その作曲家を弾く上では、先生の言葉が生きてきます。ブラームスとベートーヴェンを教えて頂きましたが、教えて頂いた曲以外を弾くときにも、非常に役に立つ、そして忘れられない言葉をたくさんかけて頂きました。パッションにあふれる方で、音をもって、すごく勇気を与えて下さる方でした。

―SKOのお話に戻ります。SKOは曲ごとにシーティングが変わるのも特色ですね。

20年近く参加させて頂いて、ヴァイオリンで隣になっていない人はいないと思うくらい全ての方と一度はお隣になったと思います。隣で弾くって、実は会話をするよりも、その人となりを一番よく知れる瞬間なんです。どんな大先輩でも、大先生でも、私は隣になったことがあるので、年齢を超えてみんなご学友、みたいな気持ちです(笑)。

一番後ろでもどこの席でも、SKOでは100%の情熱でなきゃいけないし、そうであれるオーケストラだと思います。最初はわからなかったのですが、経験を積んだ今、これは特別なことだと感じています。どこの席でも100%で音楽を奏でられるオーケストラは、本当に素晴らしく、数少ない存在だと感じています。それを知る上でも、良い経験をさせて頂いていますね。
例えば、一番後ろで自分だけMAXの音量や表現で弾いたら、音やアクションが飛び抜けてしまいますよね。そのオケのことをよく知っていないと、100%は出せない場合もあると思うんです。1年目に『ファウストの劫罰』を弾いたときは、オケでの経験も浅いしSKOでの演奏も初めてだったから、今から思うと30%ぐらいしか出せていなかったと思います。一年一年、様々な室内楽やオケで演奏する経験を重ねて、やっと弾きながら隣とも合わせられ、前席のプルトにも合わせられ、コンサートマスターとも合わせられ、なおかつ他の楽器、一番遠いチューバとかともアンサンブルができるというところまで音が聴こえ、それができた上で小澤先生と一緒に弾くことが出来るようになるまでは、10年、いや15年くらいはかかったと思います。今でも、完璧にできるとは思っていません。100%近く出せるようになるまで、ものすごく時間がかかりました。ただ、そういう経験を毎年させてもらえなければ、100%出せるところまで行きつけなかったとも思うし、すごく耳を鍛えてもらったと感じています。
耳は、オーケストラをやる上では、どこまで聴こえているかというのがすごく大事だと思います。特にSKOはすべてのところから良い音が聴こえるので、それとアンサンブルしながら自分も弾けるというのを「楽しい!」と思えるまでは、とても時間がかかりました。「楽しい」と思えたのは、比較的最近のことですね。たぶん、2010年に演奏したベルリオーズの幻想交響曲あたりぐらいからかなぁ。どこの場所で弾いていても、一緒に向かっていける!という感じになれたと思いました。

―SKF・OMFで特に印象に残っている公演は?


2004年のベルクの『ヴォツェック』、2009年SKF/2010年NY公演(*2)のブリテンの戦争レクイエム、同じく2010年NY公演のブラームスの交響曲第1番と、ふれあいコンサートでは2001年と02年に参加させて頂いたバッハ・シリーズです。

特に『ヴォツェック』と戦争レクイエムの公演に参加した衝撃は、自分の中でとても大きいです。初めてやるレパートリーでしたし、ベルクとブリテンという作曲家に対峙したのも初めてでした。
それまで、音楽は比較的自分が表現できる感情の中にありました。だから表現の方法もわかったし、「なんでこういう表現なのか?」という疑問にも、なんとなく理解できる中で弾けたり、勉強したらわかるようなものばかりをやってきたような気がするんです。だけど『ヴォツェック』と戦争レクイエムについては、恐怖のさらに向こうの恐怖とか、悲しみのもっと深い悲しみとか、自分が全然知らないところに音楽がある、というのを知った衝撃的な2曲です。

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2004年SKFのオペラ アルバン・ベルク:『ヴォツェック』より。2リットルサイズの透明なペットボトル、実に約4万4千本を使って作られた、安藤忠雄さんによる舞台デザインも斬新だった。

戦争レクイエムでは、後にも先にも体験したことのないような戦慄を覚えました。心の底からぞわぁーとくるような、感動とは違う意味で震えが来て、涙が出ました。あの作品は戦争がテーマですし、実際に戦争に行ったイギリス兵の詩をモチーフにしているので、その音楽にSKOの演奏と、合唱と、小澤先生の気持ちが混ざり合ったときの、言葉で表現できない"恐ろしさ"がありました。こういうものを音楽は表現できるんだ、というのを知った瞬間で、音楽を超えた"うめき"みたいなものを、鳴らしている音から感じ取った体験でした。
『ヴォツェック』では、人間の不条理みたいな、音楽を超えたところにある、何かすごく恐ろしいものを見た気がします。自分の世界や視野を倍増してもらえる体験でした。

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2009年SKF ブリテン:戦争レクイエム。

3つ目のブラームスは、感動した演目です。小さい頃に、SKOのドキュメンタリーをテレビでやっていて、そこで聴いたブラームスの1番が記憶に強く残っていたんですよね。だから「SKO=ブラームス1番」という印象があって。幸運にもSKOに乗れるようになって「いつやるんだろう...」とずっと待っていた先に、やっと演奏が出来た1番でした。あの公演は、カーネギーホールにいた全員が命懸けでやったんじゃないか、と思っています。SKOの演奏は、これまでもCDやDVDがたくさん出ていますが、あのブラームス1番のCDだけは、いまだに封を開けてないんです。あの時の感動、あの瞬間の感情をまだ肌感覚で覚えているので、それを昇華させたくない気持ちで。夢のようなひと時だったので、CDを聴いてしまうと、なんだか現実になってしまう気がして...。ブラームス1番に関しては、他のどの演奏も聴きたくないという感じ(笑)。自分の中ですごく大事にしている公演です。

これまでたくさんふれあいコンサートに出演させて頂きましたが、特に、バッハの楽曲のみを取り上げた室内楽公演(*3)は今の私のバッハ愛の礎になった経験です。リコーダー奏者のワルター・ファン・ハウヴェ氏を音楽監督に迎えて行われ、私が最初の奥志賀勉強会で師事したヴィオラの今井信子先生もご参加されていて、少しマスタークラスのような雰囲気もある公演だったんですね。ブランデンブルク協奏曲全曲などに参加し、レコーディングもしました。25歳くらいで出来たこの体験は、私のその後の音楽観を変えたと言っても過言ではないほど重要な機会でした。

この卵サンドはその後、お店の裏メニューになったんですよ。

―2015年に、ヴェリタス弦楽四重奏団を立ち上げられました。メンバー全員がSKOで演奏されていらっしゃいますね。

(ヴェリタス弦楽四重奏団メンバーの)ヴィオラの小倉幸子さんとは最初の奥志賀でカルテットを組んで出会い、高校生の時から共演していた工藤すみれさんも、ずっと離れていましたが松本で再会し、岩崎潤くんもSKOで出会った人。それぞれが関係があり、時を経て松本で始まったカルテットです。4人とも音楽性やキャラクターは面白いぐらい違うのですが、音楽をやった時にはバッと合うんですよね。言葉にするのが難しいのですが、どこかしらSKOで弾いていて、自分たちがどんな音楽をやりたいかわかっているというのが共通しているんだと思います。ゴールに向かう方法はそれぞれ違いますが、音楽に対して向かう姿勢が共鳴している感じです。"ヴェリタス"の意味はラテン語で"真理"。音楽の真理を大事にして、追及していくカルテットにしたいという気持ちで、この名前をみんなで付けました。ヴェリタスで出演したふれあいコンサートも、特別な瞬間でした。

―約20年松本に通い続けていらっしゃいます。松本のお気に入りを教えて下さい。

私が最初からお世話になっているのは、喫茶店の珈琲美学 アベというお店。松本に行った2、3年目くらいに、泊まっていたホテルのデスクに行って「卵サンドが食べたいのですが、食べられる喫茶店はありますか」って聞いたんです。そしたら「喫茶店といえば有名なのはアベだ」となり、お店に電話して「卵サンドありますか?」と聞いてくれました。しかし答えは「無いです」でした。でも、SKOのメンバーなんですが、とデスクの方が言ったら、なんと「作ります」と言って下さって! 特別に卵サラダのサンドウィッチを作って下さいました。「SKOの人が来てくれたのは初めてだよ」とマスターに言われて、それからもう20年近く、ずっと通っています。
この卵サンドはその後、お店の裏メニューになったんですよ。私がブログで書いてから"島田さんの卵サンド"が独り歩きして、他のメンバーが行っても作って下さったそうで。いまは、ミックスサンドの半分が卵サンドになっています(笑)。お世話になっています。

松本のボランティアの方とも仲良くさせて頂いています。ボランティアもしつつ、来られる公演にはちゃんとチケットを買って見に来て下さったり。毎年必ず会って、お話してっていう交流があります。
今年はフェスティバルが無いことによって色んな想いがありますが、無いからこそ気づく大事なこともたくさんあると思います。再会した時に、みんなの想いがどんなことになるんだろう? というのも楽しみです。

―ありがとうございました。

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2014年SKF オーケストラ コンサートのリハーサルより。コンサートマスターの豊島泰嗣さん、矢部達哉さんの後ろに見えるのが島田さん。

*1:小澤総監督が"音楽の、室内楽の巨人"と表するヴァイオリニスト。ジュリアード弦楽四重奏団 創立メンバーの一人。1998年から奥志賀での勉強会に講師として参加し、2010年までの13年間にわたってほぼ毎年松本を訪れ、後進の教育のみならず、みずからも「語りと音楽」や「ふれあいコンサート」で演奏。2003年以降はオーケストラ コンサートも指揮。2018年1月1日に惜しまれつつ他界した。
*2:小澤を芸術総監督に迎え、カーネギーホールほかニューヨーク市各地で2期(2010年12月/2011年3~4月)にわたって開催された「日本文化と芸術の探求=JapanNYC」。SKOは2010年の冬季オープニングに登場し、権代敦彦:デカセクシス、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番(ピアノ:内田光子)、武満徹:ノヴェンバー・ステップス(以上すべて下野達也 指揮)、ベルリオーズ:幻想交響曲、ブリテン:戦争レクイエム(以上小澤征爾 指揮)を演奏した。
*3: 2001年に演奏されたブランデンブルク協奏曲は、現存しない演奏法を理解し、演奏する高度な技法が必要な上に、聴衆にも音楽に対する深い造詣が必要であるため、全曲演奏会が行われることは稀な楽曲。リコーダー奏者であり、あらゆるジャンルの音楽、あらゆる種類の楽器についての解釈の講師としてワルター・ファン・ハウヴェ氏が招かれ、今井信子氏・小澤総監督とも協力した。同氏は2001年よりサイトウ・キネン・フェスティバル松本の「バッハ・シリーズ」の企画・演奏・録音に携わった。

インタビュー収録:2020年7月
聞き手:OMF広報 関歩美